2014年7月28日
オフィス@大阪
『幸せ=笑顔量?』
僕は、基本的にかなり前向きなほうだと思っています。
しかし
仕事をしていると、たまにこんなことを考えてしまいます。
“忙しい今の環境にいなくとも、地元でそれなりの生活をして、土日休みで平日の夜は自分の時間を過ごしていたほうが、生活の中での笑顔の割合は格段に大きくなるんじゃないか”
と。
こんなこと、考える意味がないのかも知れませんが、せっかく生きているのであれば、幸せに過ごしたいと考えるのは誰でも同じことだと思います。
そして、確かに上記のような生活をしていたほうが、僕の生活の中での笑顔の割合は多くなると思います。
本当に、“笑わない週”なんてこともありますからね。笑
僕はそんな時、尊敬するS先輩に素直に聞きます。
「大阪ではなくて地元でそれなりの暮らしをして、土日は毎週どこかに遊びに行って、平日の夜も自分の趣味の時間に使っている生活を送ろうと思えば送れるじゃないですか。その生活をしていた方が自分の笑顔の量は絶対に多くなると思うんですけど、何で今の会社で仕事をしているんですか?」
って聞くと
「それはわからない」と言っていました。
難しいですね。
ただ、こんなこと考えていても、僕にも先輩にも、不思議と“辞めて他の事をする”という選択肢が出てこないんです。
そして、最近ようやくその理由に気づき始めてきました。
それは、僕らが本質的に今の環境を“望んでいる”ということです。
僕個人の場合、今までの人生を振り返ってみると、常に何かに全力だったと思います。
小学校のときは器械体操、中学校の時は柔道、高校の時は吹奏楽、大学のときは勉強やイベント
唯一、何もしていなかった時期が中学一年生の時でした。
いろいろな理由は有ったのですが、部活も入らず、勉強もせず、学校から帰ると友達とどこかに遊びに行く。
そんな生活を送っていました。
もちろん、部活で厳しい時間をすごすこともなく、勉強もしていなかったので、辛いこともなかったし、逆に毎日遊んでいたので笑顔の量は多かったのです。
でも、今思うと、その時期が最も楽しくなかったですね。
というよりも、あまり記憶にないんです。今では“空白の一年”として僕の中ではちょっとした黒歴史です。
それ以来、僕はどこかで“夢中になれる何か”がないことに対して恐怖心があるような気がします。
直近で言うと、大学の時に毎日勉強して、友達と久しぶりに会うと「ゾンビみたい」と言われていたような生活を、自ら選んでいたのです。
ともすれば、自分にとっての幸せって、ただ単純に笑顔の量では測れないのかなと思うわけです。
寧ろ“夢中になれる何か”があることが、自分にとっての幸せなのかも知れません。
そこが、僕の求める“青春”に繋がるのでしょうか。
抽象的で長い文章になってしまいましたが、たまにこういうことを考える時間があってもいいなと思いました。
ひとまず、結論としては今の環境が自分の求めている環境で、そこに関しては突っ走るのみ!!!
そこからじゃないと見えない世界がある。
それを見てみたい!!
という思いが強いのでしょう!!
今日も一日ありがとうございます!
感謝!!!
前日就寝:2:00
本日起床:6:30
本日就寝:4:00
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