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返報性の原理を経験してしまうと、心が狭くなる
返報性の原理:人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱くが、こうした心理をいう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
返報性の原理とは『この前おごってもらったから今回は俺が出すよ』みたいに、相手にされた行為に対してお返しをしなければならないという心理です。
日常を生活をしている中で、多くのシーンで返報性の原理が働きます。
- 兄貴の分の飲み物も持って行ったらお菓子をもらえた
- 友人の分の映画のチケットを買ってあげたら夜焼肉をおごってもらった
- 大阪の電車で席を譲ったおばちゃんから飴玉をもらった
時には、結婚式のお祝いに対するお返しとか、形がい化した返報性なんかもあります。
一見、返報性ってすごくいいことのように思えますよね。
なぜなら、他の人にいいことをしてあげたら、自分にもいいことが起きた。という状態になりますから。
しかし、返報性に慣れてしまうと無意識のうちに自分の行動に見返りを求めるようになります
女性が落としたiPhoneを拾ってあげた結果、『最悪』と言われた話
これは僕が実際に経験した話です。
大阪で地下鉄を降りて地上に向かっているとき、20メートルほど先に一人の女性が歩いていました。
身長は160cmくらいで、高めのヒールに金髪、サングラスといった雰囲気で、ちょっと古い表現をすると【ギャル】ってやつですね。
そのギャルが、音楽を聴きながら歩いていたのですが、肩にかけていたショルダーバッグからiPhoneが落ちてしまったのです。
パキン、っと音がしましたが、ギャルは大音量で音楽を聞いているのか、気づきません。
そのままどんどん進んでいくので、僕は急いでそのiPhoneを拾い上げ、ギャルの肩をたたきました。
トントン、肩をたたくとギャルは振り向きました。
そして、すごく不信感を抱いた表情で僕のことを見てきました。
そりゃそうですよね、普通にいきなり男に後ろから肩をたたかれ声をかけられたら、誰だって不審に思います。
『電話落としましたよ』と、僕は拾い上げたiPhoneをギャルに渡しました。
すると、ギャルはそのiPhoneを手に持ち『最悪』と一言放ってその場を立ち去りました。
その気持ちもわかります。
なぜなら、落とした際に画面がバキバキに割れていたからです。
状況の整理
ここで一度上記の状況を整理してみます。
【ギャル目線】
- 音楽を聴きながらノリノリで歩いていた
- 後ろからいきなり男が走ってきて肩をたたいてきた
- すると、画面がバキバキに割れた自分のiPhoneを渡された
- 素直に思ったことを一言『最悪』と放った
【僕目線】
- ギャルが目の前でiPhoneを落とした
- 本人が気付いていないようなので後ろから追いかけて拾って声をかけた
- iPhoneを渡すと『最悪』と言い放たれた
- そしてこう思うことになった🔽
え、わざわざ走って、拾って、渡したのに最悪って言われたんですけど!
だって今拾ってあげなかったら後々紛失したことに気がついてもっと面倒なことになってたのに!
最悪って言われるこっちが最悪って言いたい気持ちだわ!
ポイントは、『最悪って言われるこっちが最悪って言いたい気持ちだわ!』と思ってしまう僕の心理
上述したように、返報性に慣れてしまうと無意識のうちに自分の行動に見返りを求めるようになります
つまり、今回僕の行動は、勝手にiPhoneを拾っているだけなのに、無意識に『感謝してくれるだろう』『感謝されるべき』と、相手からの感謝を求めてしまっているのです。
だからこそ、『最悪って言われるこっちが最悪って言いたい気持ちだわ!』と思ってしまうのです。
そして、もう人のためになんか行動してたまるか!という風に思ってしまうのです。
この経験は実際誰にでもあると思います。
例えば、電車でお年寄りに席を譲る時。
素直にすっと座ってくれればそれでいいのですが、
『いえいえ結構です。』とか『もうすぐ降りるので・・。』とか断られると、
せっかく譲ってあげようと思ったのに。。
と思ってしまいますよね。
結論:人のために何かをした時点で、自己満足してしまえばOK 。感謝されることは、副産物でしかない。
仕事でも、せっかく俺はこんなことをやってあげたのに。なんてことは日常的にあると思います。
でも、それって、やってあげているように見えて実は相手が期待に応えてくれるとか、相手から感謝されるとか、相手からの見返りを求めているだけですよね。
善意はただの善意としてとどめておき、返報性の原理は無視する。
シンプルに、自分がやったほうがいいと思うことをやってあげる。
それで十分だと思います。
ちなみに、僕は仕事を辞めて自分の心に余裕が持てるようになってから、ただの善意にとどめられるようになりました。
別に、仕事を辞める必要はありませんが、自分自身に相当なストレスがかかっていて余裕がない状態であれば、一方的な善意を持つことは難しいと思います。
ただ、例えば、道に迷ってそうな外人を助けるとか、重たそうな荷物を持ってるお年寄りと一緒に階段を下るとか、別に相手に感謝されなくても自分は結構満たされて充実した気持ちになります。
そうすると、直接相手に感謝されなくても、自分自身は満たされているので気持ちが高まり、その後の作業の効率が上がったりします。
できるだけ、余裕を持って人の役にやって、自己満足して、生産性を高めていきたいですね。
ではまた。
コメント
自己満足の感謝は副産物ね(^^♪
副産物、さいこー
イッシーさん
本サイト初のコメントありがとうございます!
イッシーさんから教えていただいた数々の考えの
の本質がだんだん理解できるようになってきました^^
普段の仕事でもなかなか相手の反応が直接返ってこないけど、
同じ料理でも盛付けひとつで提供された時の感動は違う。
自分に置き換えて考えると改めて気が引き締まりますますな!
のぼるさん
コメントありがとうございます!
そうですね!デシャップに置いた時のちょっとしたずれにも気遣う姿勢からはいつもプロ意識を感じていました!
これからも頻繁に更新していくので、ワキログをよろしくお願いします^^
[…] […]