
お疲れ様です。ワキログです。
僕は普段、全国の工務店さんの経営コンサルティングをしています。
ニュースを入口にして経営学の言葉を一つずつ解説する「ニュースで学ぶ経営学」、今回は第21回です。
テーマは「建材の値上げラッシュ」です。
「値上げのお願い」という言葉、言う側も聞く側も、胃が痛いですよね。
今年の建材業界は、この胃が痛い通知が止まりません。
TOTO、ヨドコウ、エクセルシャノン。12月1日に合わせて、住設も鋼板もサッシも一斉に上がります。
仕入れは上がる。でも、施主さんとの契約金額はもう決まっている。
この板挟みのとき、工務店は何を頼りに交渉すればいいのでしょう。いかがでしょう。
交渉力は、口のうまさではなく「代替案」で決まります。
今日は、建材の値上げラッシュを入口に、経営学の「交渉力とBATNA(バトナ)」という言葉を解説します。
値上げを「お願い」から「協議」に変える話です。
少し長くなりますが、お付き合いください。
12月1日、建材と住設の値上げが一斉に来る

まずは事実から整理します。
住宅設備のTOTOは、12月1日受注分から住宅設備機器の希望小売価格を改定すると発表しています。
カテゴリ別の平均で、水栓金具やユニットバスが8%、衛生陶器は13%です。
屋根や外壁の鋼板をつくるヨドコウは、12月1日出荷分から鋼板商品や金属サイディングを8%値上げ。
樹脂サッシのエクセルシャノンは、同じく12月1日受注分から商品を約10〜20%、さらに運送費も約10%引き上げます。
鉄そのものも上がっています。
日本製鉄は一般流通向けの薄鋼板を、11月出荷分から1トンあたり5,000円引き上げ。今年3度目で、累計2万円です。
建材情報サイトのまとめでは約5%にあたり、同じサイトには今年だけで20社以上の値上げや受注停止が並んでいます。
背景は大きく3つです。
一つ目、中東情勢による原油・ナフサの高騰。
日本はナフサの約4割を中東から輸入していて、塗料用シンナーが約75%、住宅用断熱材が40%上がった例が報じられています。
二つ目、素材そのもののコスト。日本製鉄は原料炭の高騰も理由に挙げています。
三つ目、人件費と物流費。公共工事設計労務単価は2026年3月から25,834円、前年比4.5%の引き上げです。

通知は来るんですけど、メーカーに「下げてください」なんて言えないですよ。
かといって、お客さんにも言いにくいし・・・。

どっちにも言いにくい、が一番まずいんです。
交渉って、話し方の前に「準備」で8割決まりますから。
つまり工務店にとっては、仕入れは上がる、でも施主さんとの契約金額はもう決まっている。
しかも、メーカーに対しては「聞く側」、施主さんに対しては「言う側」と、両方の立場に同時に立たされます。
この板挟みを解くのが、経営学の「交渉力とBATNA」という考え方です。
BATNAとは、合意できなかったときの「最善の代替案」

BATNA(バトナ)は、Best Alternative To a Negotiated Agreement の頭文字です。
一言でいうと、「合意できなかったときの、最善の代替案」です。
1981年、ハーバード大学のロジャー・フィッシャーとウィリアム・ユーリーが『ハーバード流交渉術』で提唱しました。
交渉力は、声の大きさや口のうまさではなく、「代替案の質」で決まります。
身近な例でいきます。
転職の面接で給料を交渉するとき、他社から内定が1つある人と、ない人。強いのはどっちでしょう。
内定がある人ですよね。話し方は同じでも、「断っても困らない」から強い。
この内定がBATNAです。

交渉のテーブルの外に、どんな選択肢を持っているか。それが交渉力の正体です。
目の前の合意案がBATNAより良ければ合意する。悪ければ席を立つ。判断の物差しにもなります。
ここから派生する言葉が2つあります。
①留保価格
これ以上は譲れない、ギリギリのライン。BATNAの価値から決まります。
②ZOPA(ゾーパ)
合意可能領域。売り手の「最低これだけは」と、買い手の「最高ここまでなら」が重なる範囲です。
建材で言えば、メーカーの「8%は上げたい、最低でも5%」と、工務店の「できれば据え置き、最大6%なら」が重なる、5〜6%の帯。ここがZOPAです(数字は仮の例です)。
重なりがなければ、どれだけ話しても価格だけでは合意できません。
だから交渉の前に、まず自分の留保価格を決める。

うちは小さい工務店なので、メーカーさんとは交渉にならないと思っていました。

交渉力は会社の大きさで決まるわけじゃないですよ。
「代わりがあるか」で決まるんです。
よくある誤解を3つ。
誤解その1、「交渉力は会社の大きさで決まる」。
違います。大きい会社でも、代わりの仕入れ先がなければ弱い。小さい会社でも、「この職人さんしかできない」なら強い。
だからBATNAは、交渉の前に「良くしておく」ものです。
別の仕入れ先を探す、別の施主候補を持つ、工期をずらせる余地をつくる。
準備の本質は、代替案を増やすことです。
誤解その2、「相手の言い分と、相手の欲しいものは同じ」。
交渉では「立場(ポジション)」と「利害(インタレスト)」を分けます。
工務店が「値上げは受けられない」と言う。これは立場です。
本当の利害は「今の契約の利益を守りたい」「施主さんに説明できる形がほしい」かもしれない。
利害が見えると、「値上げは受けるけど、適用は来月契約分から」「運送費は据え置き」のように、選択肢が広がります。
誤解その3、「交渉は取り合い」。
パイを分ける交渉を「分配型」、パイを広げる交渉を「統合型」と呼びます。
価格だけで争えば分配型。数量、納期、支払条件、適用時期をテーブルに乗せれば、統合型になります。
最後にもう一つ、「アンカリング」。最初に出た数字が基準になる心理です。
だから最初の提示は、根拠をつけて自分から出す。相手の数字に反応するだけだと、相手の基準で話が進みます。

BATNA、留保価格、ZOPA。この3つはセットで覚えてください。
「ダメならどうするか」を決め、「ここまでなら」を決め、「重なる帯」を探す。順番もこのままです。
メーカーはなぜ強気で通知できるのか

では、この理論で今回の値上げラッシュを読み解きます。ここからは僕の見立てです。
まずメーカー側。TOTOもヨドコウも、「12月1日受注分から」「出荷分から」と、3〜4か月前に通知しています。
これは交渉の型で言う「事前通知」です。
しかも、ほぼ全社が同じ理由、同じ時期に動いている。工務店側の「他のメーカーに替える」というBATNAが弱い。だから通りやすい。
一方で、工務店が施主さんや協力業者さんと向き合う場面では、制度が変わってきています。

2026年1月1日、下請法が「中小受託取引適正化法」、通称「取適法(とりてきほう)」に変わりました。
ポイントは、受託側から価格協議を求められたのに応じず、一方的に代金を決めることが禁止になったことです。
対象になる取引は資本金や従業員数で決まるので、すべての取引に当てはまるわけではありません。
それでも、「値上げの話は聞かない」が法律に触れる場面が出てきた。
価格は「お願い」ではなく「協議」が前提になったのです。
中小企業庁の「価格交渉促進月間」のフォローアップ調査、2026年3月の結果では、価格交渉が行われた割合は90.7%、コスト全体の転嫁率は54.2%でした。
でも、建設業は53.0%で平均をやや下回り、トラック運送は34.5%で最下位。
そして「全く転嫁できなかった、または減額された」企業が16.0%。4次請け以上だと24.3%です。
制度は整ってきた。でも現場では、上げたい分の半分ちょっとしか通っていない。ここに交渉力の差が出ています。
建設業にはもう一つ、建設業法があります。
2024年12月13日施行で、受注者は契約を結ぶ前に、資材高騰などの「おそれ情報」を注文者に通知する義務ができました。
通知しておけば、高騰が顕在化したときに変更協議を申し出られて、注文者は誠実に協議に応じる努力義務を負います。
工務店は、この両方の立場に立ちます。
施主さんに対しては、価格改定を説明する「言う側」。協力業者さんからは、値上げ要請を受ける「聞く側」。
言う側のときは、契約書の変更方法に「協議して定める」と書き、契約前に通知しておく。
聞く側のときは、協議のテーブルに座って根拠を聞き、変更の可否を説明する。拒否や先延ばしは「誠実に協議していない」例です。

契約前に「上がるかもしれません」なんて言ったら、お客さんが引きませんか。

逆ですよ。契約前に言う会社の方が、後から揉めないんです。
黙っていて後から言う方が、よっぽど信頼を失います。
メーカーは「事前通知」と「代替案の弱さ」で通している。
工務店は「事前通知」と「協議の型」で、同じことができます。
値上げは「お願い」ではなく「協議」です。
じゃあ、どうする?取引先ごとにBATNAを書き出す

じゃあ、どうするか。立場別に、今週できることを2つずつ。
【経営者の方】
一つ目、今日15分でできること。取引先を5社選んで、「自社のBATNA」と「相手のBATNA」を1行ずつ書き出す。
「このメーカーがダメなら、どこに替えられるか」「うちが離れたら、相手は困るか」。
空欄が多い相手ほど、交渉力が弱い相手です。
二つ目、価格改定交渉の型を社内で揃える。事前通知、根拠、選択肢の提示、合意の記録。この4ステップです。

根拠資料は「パック」にしておきます。自社の原価推移、メーカーの値上げ通知のコピー、公的な指標、契約や見積の条項。
公的指標は公表資料で交渉してOKと、中小企業庁のサイトに載っている価格交渉ハンドブックにも書いてあります。
あわせて、見積書に「価格有効期限」と「資材高騰時の改定条項」を入れる。
契約書の変更方法に「協議して定める」の一文を入れるだけでも効きます。
そして、協力業者さんから値上げ要請が来たときの社内ルール。「まず断らない。根拠を聞く。2週間以内に回答する」。
【会社員の方(購買・営業の担当)】
一つ目、交渉の前に3つだけ決める。「自分のBATNA」「留保価格」「最初の提示額と根拠」。この3つをA4一枚に書いてから席に着く。
二つ目、「協議に応じない」が法に触れる場面を知る。
取適法の対象かどうかは、資本金か従業員数のどちらかで決まります。自社と取引先がどちらに当たるか、総務に聞いてみてください。
【生活者の方(家を建てる・リフォームする人)】
一つ目、契約書の「資材高騰条項」を読む。「価格はいつの時点で確定するか」「高騰したときはどう協議するか」。この2つが書いてあるかを確認する。
二つ目、設備を決めるなら、メーカーの価格改定日を聞く。TOTOなら12月1日受注分です。

僕は中小企業診断士でもあるので、少しだけ試験の話をさせてください。
企業経営理論では令和3年の第19問で「組織におけるコンフリクト」、中小企業政策では平成22年の第19問で下請法の資本金基準が出ています。
2026年からは取適法に変わったので、従業員数の基準や新しい禁止行為は、まず狙われると思います。
今日の内容で予想問題を1問。
建材価格の上昇を受け、工務店X社は仕入先メーカーおよび元請先との価格交渉に臨む。交渉に関する記述として、最も適切なものはどれか。
- ア BATNAとは、交渉で合意に至った場合に得られる最大の利益を指す
- イ 留保価格は自社のBATNAと無関係に、相手の提示額を基準に決める
- ウ 売り手の留保価格>買い手の留保価格なら、ZOPAはなく価格だけでは合意できない
- エ 交渉力は常に企業規模の大きい側にあり、代替案の有無では変わらない
正解は、ウです。
アは逆。BATNAは「合意できなかったとき」の最善の代替案です。
イも逆。留保価格はBATNAから決める。相手の提示を基準にすると、アンカリングにかかります。
エは、今日の話のど真ん中。交渉力は代替案の質で決まる。規模ではありません。
【セルフチェック】
- 主要な取引先5社について、「ダメならどうするか」を1行で言えますか?
- 見積書と契約書に、価格有効期限と「協議して定める」の一文が入っていますか?
- 協力業者さんから値上げ要請が来たとき、「まず断らない」社内ルールがありますか?
「いいえ」があるなら、交渉のテクニックより先に、そこを埋める方が早いです。
まとめ:交渉力は代替案の質で決まる

今日の経営学用語は「交渉力とBATNA」でした。
- BATNAとは、合意できなかったときの最善の代替案。交渉力は代替案の質で決まる
- 価格は「お願い」ではなく「協議」。取適法も建設業法も、その方向に動いている
だから準備の本質は、話し方の練習ではなく、BATNAを良くしておくことです。
テーブルに座る前に、テーブルの外を整えておく。
そして、言う側のときも聞く側のときも、同じ型で進める。事前通知、根拠、選択肢、記録。
どれも、特別な交渉術ではなく、明日から工務店の現場でできることです。

ここからは僕の本音です。
僕の立場は、値上げ交渉には「賛成」。ただし条件つきです。
理由は単純で、価格を守ることが、職人さんと社員さんを守ることだからです。
原価が上がっているのに価格を据え置くと、削られるのは、現場の人の手取りか、品質です。
顧問先の工務店さんでも、「仕入れは上がったけど、お客さんに言いにくい」という相談が増えています。
そこで僕がよく聞くのは、「自社の商品に、どれくらい自信がありますか」ということ。
僕は、営業の自信って、心の中で「私に会えて、おめでとうございます」と思えるくらい、自分と自社の商品を信じていることだと思っています。
口に出すのは、感謝の言葉ですけどね。
その自信があれば、値上げは「お願い」ではなく「正しい価格の説明」になる。
BATNAで言えば、お客さんに「この会社じゃなくてもいい」と思わせないこと自体が、最強の交渉力なんです。
逆に、自信がないまま値上げすると、声が小さくなる。相手はそれを見て、押せると思う。
だから、交渉のテクニックより先に、「うちは何でこの価格なのか」を社員みんなが言えるようにする。
これが僕の思う、価格転嫁の本質です。
値上げを怖がる必要はありません。怖いのは、黙って削られることです。
次回も、ニュースから経営学の言葉を一つ、たのしく解説する予定です。
ワキログでした!
参考情報


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