
お疲れ様です。ワキログです。
僕は普段、全国の工務店さんの経営コンサルティングをしています。
ニュースを入口にして経営学の言葉を一つずつ解説する「ニュースで学ぶ経営学」、今回は第5回です。
テーマは「カスハラ対策の義務化」です。
「お客様は神様です」。
この言葉、言った本人は、そんな意味で言っていません。
そして2026年10月1日から、お客様の暴言から社員を守ることが、会社の「義務」になりました。
法律の話に見えますが、僕はこれを「利益の話」として読んでいます。
社員を守ると、利益が増える。いかがでしょう。
社員を守ることは、お客様への価値を守ることです。
今日は、カスハラ対策義務化のニュースを入口に、経営学の「サービス・プロフィット・チェーン」という言葉を解説します。
少し長くなりますが、お付き合いください。
10月1日から、カスハラ対策が「義務」になった

まずは事実から整理します。
2026年10月1日、改正労働施策総合推進法が施行されました。
正式名称はとても長いので省きますが、ポイントは一つです。
カスタマーハラスメント、いわゆるカスハラへの対策が、すべての事業主の義務になりました。
対象は、労働者を1人でも雇っているすべての事業主。中小企業も、個人事業主も含みます。
何をしなければいけないのか。厚労省の指針では大きく5つです。
- 方針を決めて、社員に知らせる(カスハラには毅然と対応して社員を守る、と宣言する)
- 相談窓口をつくる
- 起きたら事実確認をして、被害者を守り、再発防止をする
- 相談した人のプライバシーを守り、不利益な扱いをしない
- 特に悪質なケースへの対処方針を、事前に決めておく
ちなみに、罰則はありません。
ただ、措置が不十分だと厚労大臣の助言・指導・勧告の対象になり、勧告に従わないと企業名が公表されることがあります。
では、そもそもカスハラとは何か。指針の定義は3つの要素です。
顧客などの言動であること。社会通念上許される範囲を超えていること。それで社員の働く環境が害されること。
つまり、クレーム全部がカスハラではありません。「正当なクレーム」と「カスハラ」の線引きが、この定義です。

どれくらい起きているのか。
厚労省の令和5年度の調査では、過去3年にカスハラの相談があった企業が27.9%。前回調査から8.4ポイント増えています。
相談件数が「増えている」と答えた企業は23.2%。パワハラの19.6%、セクハラの11.0%より多い。
現場の数字はもっと重いです。
UAゼンセンが2024年に約3万3千人の組合員に聞いた調査では、直近2年で迷惑行為を受けた人が46.8%。ほぼ半分です。
東京都は国より先に条例をつくっていて、国の法律はその流れを全国に広げた形です。
ここまでが事実です。

うちみたいな小さな工務店も対象なんですか。
相談窓口って言われても、社長の僕が窓口みたいなものですし・・・。

対象ですよ。1人でも雇っていれば全部です。
でも僕は、これを「やらされる義務」じゃなく「社員への投資」だと思っています。
「義務」と聞くと、多くの経営者さんは身構えます。
でも、この法律が求めていることを経営学の言葉で読み直すと、まったく違う景色が見えてきます。
それが「サービス・プロフィット・チェーン」という考え方です。
サービス・プロフィット・チェーンとは、起点が社員の連鎖

1994年、ハーバード・ビジネス・レビューに、ヘスケットら5人の研究者が発表した論文が出発点です。
一言でいうと、「社員の満足が、お客様の満足を通じて、利益につながる」という連鎖です。
連鎖の一番最初にいるのは、お客様ではありません。社員です。
順番に見ていきます。
スタートは「内部サービス品質」。働きやすい職場、道具、権限、上司のサポート。会社が社員に提供するサービスの質です。
これが高いと、「従業員満足」が上がります。
満足した社員は辞めないし、慣れて速くなる。「定着と生産性」です。
経験を積んだ社員が、お客様に「サービス価値」を届けます。
その価値が「顧客満足」になり、満足が続くと「顧客ロイヤルティ」、つまりリピートと紹介になります。
そして最後に、「売上・利益」です。
利益の一部を、また最初の「内部サービス品質」に戻す。ここで輪が閉じて、連鎖が回り続けます。
身近なたとえでいきます。
行きつけの美容室で、担当さんがコロコロ変わると、行かなくなりますよね。
逆に、同じ人が5年担当してくれると、何も言わなくても好みを分かってくれます。
この「分かってくれる」がサービス価値です。
そして、その担当さんが辞めない理由は、お客様が優しいからだけではありません。お店が働きやすいからです。
つまり、お客様が受け取る価値の源は、お店の中にある。これがこの理論の一番大事な視点です。
ヘスケットたちが示したのは、「利益を出すためにお客様を見ろ」ではなく、「利益を出すために、まず社員を見ろ」という順番の逆転でした。
少しだけ、数字の話もしておきます。
連鎖の後半、「ロイヤルティ→利益」の部分は、数字で語られることが多いです。
有名なのが、同じハーバードのライクヘルドの研究で、「顧客維持率を5%改善すると、利益は25%から95%増える」というもの。
新規のお客様を獲得するコストは、既存のお客様を維持するコストの5倍から25倍、とも言われます。
ただし、ここは僕の注意書きを一つ。
この数字、元になった1990年の論文では「25〜85%」で、業種によって幅がとても大きいです。
「全員を維持すれば利益が増える」とまでは言えなくて、「どのお客様を維持するか」が利益を決める、という批判もあります。
この話、あとで「どのお客様を抱えないか」につながるので、覚えておいてください。
連鎖の前半、「社員の満足→お客様の満足」を実測した会社もあります。
アメリカの百貨店シアーズは1998年、「従業員の態度が5ポイント上がると、顧客満足が1.3ポイント上がり、売上成長率が0.5%上がる」という自社モデルを発表しました。
ただし、日本の研究者も「従業員満足と顧客満足の関係は、実証すると一貫した結果が出にくい」と指摘しています。
連鎖は「自動」ではなく、「つなぐ経営」をしたときに動く。これが僕の読み方です。

ここで、よくある誤解を一つ片づけます。「お客様は神様です」。
三波春夫さんのこの言葉、公式サイトではこう説明されています。
「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ、完璧な藝をお見せすることはできない」。
つまり、自分の芸への心構えの話です。「お客様の言うことは何でも聞け」という意味ではないのです。

でも、お客さんを選ぶなんて、うちの規模で言えるんですか。
一件でも多く受注したいのが本音でして・・・。

経営学には「顧客ポートフォリオ」という考え方があるんですよ。
全員を抱えるより、「誰を抱えないか」を決める方が、会社は強くなります。
横軸に利益への貢献、縦軸に対応にかかる手間を取ります。
右下の「貢献が大きくて手間が少ない」お客様は、宝です。
左上の「貢献が小さくて、手間だけ大きい」お客様は、会社の資源を食いつぶします。
「全員を抱える」より、「誰を抱えないか」を決めることが、連鎖を守る経営判断になるのです。

僕は営業の研修で「正確な情報を届けるのは当たり前」とよく言います。
その先にある「この人と一緒に家づくりがしたい」という関係は、疲弊した社員からは生まれません。
社員が元気であることは、営業力そのものです。
カスハラは、連鎖の最初の輪を壊す

では、カスハラ義務化をこの連鎖で読みます。ここからは僕の見立てです。
カスハラは、連鎖のどこを壊すか。一番最初の「内部サービス品質」と「従業員満足」です。
厚労省の調査では、カスハラを受けた人の63.8%が怒りや不安を感じ、46.1%が「仕事への意欲が減った」と答えています。
眠れなくなった人が16.7%。
そして、会社が知っていたのに「特に何もしなかった」が29.8%です。
意欲が減った社員は、良いサービスを出せません。そして、辞めます。
すると残った社員の負担が増え、サービス価値が落ち、お客様の満足が落ちる。
つまりカスハラは、一人の理不尽なお客様が、他のすべてのお客様への価値を削っているのです。
これが、理不尽な顧客を放置するコストの正体です。
逆に言うと、今回の法律が求める5つの措置は、ほぼそのまま「内部サービス品質」への投資です。

僕はこれを3段階で整理しています。
①ルール
「ここからはカスハラ」という線引きを、文章にします。
指針の定義が、そのまま土台になります。
②権限
現場が「お断りします」と言える権限と、上司に引き継ぐ手順です。
「一人で対応させない」は、厚労省の指針にも書かれています。
③サポート
相談窓口と、起きた後のケアです。
工務店で言えば、監督が一人で施主の電話を抱え込んでいる状態を、会社の仕組みで解消する。それが権限とサポートです。

うちの監督、夜遅くまで施主さんの電話に出てるんです。
正直、ありがたいなと思ってましたけど・・・。

その「ありがたい」が美談になっていたら、連鎖の最初が壊れかけています。
社長が決めるのは「出なくていい時間」と「引き継ぐ相手」ですよ。
義務だから仕方なくやる会社と、「これはサービス価値への投資だ」と分かってやる会社。
1年後、人が定着して、紹介が増えるのはどちらか。僕は後者だと見ています。
顧問先の工務店さんでも、ここ数年「施主対応で監督が疲れている」という相談が増えています。
社員の心のすり減りは、経営の数字に直結する課題です。
自分の会社に当てはめる3つの問い

僕は中小企業診断士でもあるので、少しだけ試験の話をさせてください。
このサービス・プロフィット・チェーン、診断士試験の企業経営理論でちゃんと出ています。
平成27年度の第34問。「サービス・プロフィット・チェーンは、従業員の満足を高めることが顧客満足や顧客ロイヤルティの向上につながるという考え方を示している」。
これが正解の選択肢でした。
逆に令和元年度の第33問では、「顧客満足が顧客ロイヤルティにつながることで収益性が高まることに注目し、企業が顧客に目を向けることの重要性を強調している」という選択肢が不適切。
違いが分かりますか。
従業員が抜けているのです。お客様だけ見ている説明は、この理論では間違いです。
試験はまさに、「連鎖の出発点はどこか」を聞いてきます。
せっかくなので、カスハラ版の予想問題を1問。
X社は、顧客からの著しい迷惑行為に対する対処方針を定め、従業員が一人で対応せず上司に引き継ぐ権限を明文化した。サービス・プロフィット・チェーンの考え方に照らして、最も適切なものはどれか。
- ア この施策は顧客満足を直接高めるものであり、従業員満足には影響しない
- イ この施策は内部サービス品質を高め、従業員満足と定着を通じてサービス価値の向上につながると考えられる
- ウ サービス・プロフィット・チェーンでは顧客ロイヤルティが起点であるため、顧客に厳しい施策は連鎖を弱める
- エ 従業員満足と顧客満足は常に比例するため、従業員満足が高まれば顧客満足は必ず高まる
正解は、イです。
アは逆。この施策が最初に効くのは、従業員の方です。
ウは起点が間違い。起点は内部サービス品質です。
エは「常に」「必ず」が言いすぎ。実証では一貫した結果が出にくいと指摘されています。

試験の話はここまで。ここからが本題です。
工務店さんを想定して、自分の会社にこの3つを聞いてみてください。
【セルフチェック】
- 現場監督、設計、営業は、お客様との関係で疲弊していませんか?
- 理不尽な要求に対して、会社としての線引きルールはありますか?
- 社員の定着が、紹介受注につながっていると認識していますか?
一つ目。「あの施主さんの電話は夜10時でも出る」が美談になっていたら、連鎖の最初が壊れかけています。
二つ目。個人の我慢で持たせている会社は、我慢した人が辞めたとき、一気に崩れます。
ルールは、社員を縛るためではなく、社員が「会社が決めたことなので」と言えるようにするためのものです。
三つ目。住宅は一生に一度の買い物です。「あの監督さんがまだいる」が、OB客の紹介を生みます。
新規の獲得コストは、維持の5〜25倍。紹介は、定着した社員が生む、一番安い営業です。
会社員の方なら、こう置き換えてみてください。
- 自分の疲弊を「個人の根性」で処理していないか。会社に線引きを求めてよい場面ではないか
- 後輩が一人で理不尽なお客様を抱えていないか
そして生活者として。正当な要望は、はっきり伝えていい。でも、担当者を怒鳴ることは、自分が受け取るサービスの質を下げることでもあります。
社員を守ることは、お客様への価値を守ることです。
まとめ:社員を守ることは、利益を守ること

今日の経営学用語は「サービス・プロフィット・チェーン」でした。
- サービス・プロフィット・チェーンとは、社員の満足がお客様の満足を通じて利益につながる連鎖。起点はお客様ではなく社員
- カスハラ対策の義務化は、法律の話に見えて、連鎖の最初の輪を守る話だった
罰則がないからやらない、ではなく、利益の起点を守る投資としてやる。
ルール、権限、サポートの3段階で、現場が一人で抱え込まない仕組みをつくる。
そして、「誰を抱えないか」を決めることも、他のすべてのお客様を守る経営判断です。

僕は自分のことを「大きな脇役」と呼んでいて、主役である社長さんたちを支えるのが仕事です。
その社長さんたちにとっての主役は、現場で施主さんと向き合っている監督や設計、営業の社員さんです。
ワキログは「働くって本当は楽しい」と伝えたくて続けていますが、理不尽な言葉に一人で耐えている状態で、仕事を楽しめる人はいません。
だから社員を守る仕組みは、やさしさの話であると同時に、紹介と利益を生む経営の話なのだと思います。
「お客様は神様です」の本来の意味は、自分の仕事への心構えでした。
社員が澄んだ心で仕事に向き合える環境をつくること。それが社長にしかできない役割です。
このシリーズでは、ニュースを入口に経営学の言葉を一つずつ解説していきます。
次回も、時事ニュースから経営学の用語を一つ、たのしく解説します。
ワキログでした!
参考情報
- 厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」
- 厚生労働省リーフレット「カスタマーハラスメント対策が事業主の義務になります」
- 厚生労働省「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」結果概要
- 労働政策研究・研修機構 Business Labor Trend「UAゼンセン カスタマーハラスメント調査」
- Harvard Business Review「Putting the Service-Profit Chain to Work」
- Harvard Business Review「The Value of Keeping the Right Customers」
- AdverTimes「『お客様は神様です』の真意」
- 過去問ドットコム 中小企業診断士 平成27年度 企業経営理論 問34



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